若林リアン(ジェネシス・カードの考案者)からみなさまへ

By Liane Wakabayashi


ようこそジェネシス・アート・ワークショップへ。私たちはみんなで、自分の描いた絵を自らの鏡として見る新しいやり方を開発しています。絵を通して創造力がどうやってあなたに直観的なメッセージを伝えようとしているかを発見します。あなたが描いた絵の中にあるメッセージは、あなたをより調和がとれて、バラ色で順調な方向へと導いてくれます。絵の中のメッセージが、あなたに何を伝えようとしているのか読み解く方法をお教えします。このメッセージは、物の見方を変えることで、人間関係が改善し、日常生活がより楽しくなり、家族にもっと感謝できるようになることに気づいてという魂の叫びです。とても面白いことに、何気なく選んだカードの見逃してしまいそうなくらい小さなところに、あなたの描いた絵が誇張されています。44枚のジェネシス・カードの役割は、その小さなところにあなた深い部分からくる英知を見つけるのを手伝うことです。カードを使って絵を調整し、完成した絵の中のメッセージに従って行動するのがクセになります。絵を描くたび、新しい自分を発見する楽しみが目の前に広がっているのがわかって、どんどん絵が描きたくなるでしょう。
ジェネシス・アートの直観を使って絵を描くテクニックは、とても楽に身について、しかも手軽に練習できます。リラックスして優しく自分を受け入れて絵を描けば、毎回レッスンのたびに子供のころの無邪気な自分に戻る感じです。ハートを広げて気軽に筆を動かせば、たとえ絵は初心者という方でも、自分の内なる英知から来る絵を簡単に描くことができます。世田谷にあるリアンの自宅アトリエでは、年齢・経験に関わらずあらゆるアーティストを歓迎しています。

By Liane Wakabayashi


若林リアン プロフィール
若林リアンはコロンビア大学の芸術経営を修め、美術学修士号を取得、その後マサチューセッツ州立大学アムハースト校を極めて優秀な成績で卒業し、美術史の学士号を取得しました。当時美術史の実習で印象に残った、それぞれの作品を念入りに見比べるために2つの作品を横に並べて置く方法(並置)を、広くジェネシス・カードの解釈に応用しています。以前ジャパンタイムスと全日空の機内誌「翼の王国」に芸術、自然療法、旅行に関する記事を書いていましたが、1995年に、当時鍼灸院「赤ひげ堂」で副院長をしていた彼女の夫によるアートのワークショップで直観的に絵を描く方法に出会い、それ以来絵を描いています。
過去11年にわたり、東京とアメリカで子供からお年寄りまで、数百人がジェネシス・アート・ワークショップを受けました。リアンの作品は、高名な東京アメリカンクラブの玄関ギャラリーから流行に敏感なデザイン・フェスタ・ギャラリー原宿に至るまで、都内数か所で展示されています。最近では、2011年10月に栄えある三井堂画廊(岐阜県高山市)で個展を開きました。
2012年現在、14才になる未来と9才になる誠士の母親で、夫は治療師の若林明彦。1987年から東京に住んでいます。

ジェネシスウエイとは何か?
アートとミラクルを体験するコース
ジェネシス・カードはアートとシンクロニシティの架け橋

ジェネシス・アート・ワークショップでは、こんな現象がしばしば見られます。生徒さんの明るい色彩に彩られた作品が、44枚からなるジェネシス・カードのイメージと不思議に一致するのです。この不思議なつながりがあなたの創造力と本来の直観力を目覚めさせ、美しいシンクロニシティ体験へと導いてくれます。

アートを通じてシンクロニシティを体験する

20世紀前半、スイスの心理学者であるカール・グスタフ・ユングは、東洋の慣例や伝承、そして哲学に夢中になりました。ユングはここから得たインスピレーションによって、心を創造性や霊的な魂とリンクさせる新しい心理学の支流を創出しました。直観力を用いてアートを創作することよって、ユング博士は、心理学の新たな支流を生み出し、その手法はアートセラピーとして今日も広く用いられています。

アートセラピーについては多くが知られているのに比べて、直観的なアートの創作と解釈におけるシンクロニシティの役割についてはほとんど知られていません。カール・ユングは、アートと重要な偶然の一致との間にある関係性について認識していただけではなく、アートにおけるシンクロニシティをじかに体験していたのです。友人であるドイツ人のリヒャルト・ヴィルヘルムから新しい著作の論評を書いてほしいと頼まれたとき、ユングは中央に黄金色の城を据えたマンダラをちょうど描き終えたところでした。

「私は直ちにその原稿を貪り読んだ。というのは、その論文はマンダラと中心の周りの巡行とについての私の考えに対して、思いがけない確証を与えてくれたからである。これは私の孤独を破った最初のことがらであった。私は類似性に気づき始めた。私は何ものかと、そして誰かと関係を打ち立てることができるはずだ。この偶然の一致、この「同時性」を記念して、あまりにも中国風な印象を私に与えたこの絵の下に、私は次のように記した。「1928年、この黄金色の固く守られた城の絵を描いていたとき、フランクフルトのリヒャルト・ヴィルヘルムが、黄色い城、不死の体の根源についての、一千年前の中国の本を送ってくれた。」」(引用部分は、次の書籍からの抜粋。『ユング自伝Ⅰ-思い出・夢・思想-』ヤッフェ編、河合隼雄ほか訳)

この種のシンクロニシティはそんなに珍しいことだったのでしょうか?いいえ、そうではありません。しかしながら、まだ起こっていない実生活の出来事とシンクロするというアートの潜在的な力は、長い間社会的なタブーとされてきました。そのため、カール・ユングでさえも、このような状況下では彼の最も本質的なアートが正しく理解されないことを心配して、その公開をあきらめたほどでした。ユングの死から50年以上を経た昨年11月、彼の遺族は、ユングの至極個人的な執筆とスケッチからなる『赤の書』(The Red Book)の出版および展示に踏み切りました。今夏アメリカのニューヨーク、ワシントンおよびロサンジェルスで『赤の書』を目にすることができます。